誰かの親になるということ

今日はかわいい娘さん二人を育てている


先輩ママさんである友人宅を訪れた。



生後2ヶ月の赤ちゃんはそれはそれは

可愛くて、泣かないいい子だった。


私の腹の中の子は、果たしてこうなるのか、、、



幼稚園にあがったお姉ちゃまは

それはそれは見事な成長っぷりで


おちゃべりしながら愛くるしいしぐさを

繰り広げるその姿に

きっとパパもメロメロだろうと感じた。





うちにもこんな家族の風景が

しばらくしたら訪れるのか、


皆目検討もつかないが、


その裏で悪ぅい顔をしながら


今年度預ける手段として

保育園のウェイティングリストに

載せてもらっているワタシ。



生後数ヶ月で預けたら、鬼ですか?



オニオ〜ニです、よろしく。





友人が言ったセリフを電車の中で思い出す。




 親であることは、常に緊張感がある。



緊張感とは、子供が誘拐されないか、とか


怪我しないように見張ってなきゃ、とか


そういう意味かと思っていたが、そうではなかった。



 子供たちがきちんとした大人になるか。
 

子育てについて全権委任といっても過言ではない

重圧をかけられている母親の気持ち。



世間はあまり重要視してはいないのではないか。



子供が他人様のものを壊してきたり、

受験に失敗したり、

登校拒否になったり、

引きこもりになったり、

ニートになったり、

背負っているランドセルを満員電車で

ばしばし他人にぶつけながら大声で

お友達と話していたり、

勉強もしないで色気づいてみたり、

携帯電話とパソコンばっかりやっていたり、

タバコはおろか不思議な草を吸ってみたり、

いきなり墨を入れてみたり、

彼女を妊娠させちゃったり、



子供がなにをしたって

いくつになったって

こう言われるのだ。



 (母)親の育て方が悪い

 (母)親の躾がなってない



口には出さないけれど、親の前には決まって母がつくのだ。



母は、知っている。


子育てのほとんどは自分がやってきたことだ、と。


だからこそ、心を痛めてしまうのだ。



そんなら反面教師的発想で、


他人に頼りまくったらどうか。



ワタシは頼る気満々だ。


産後ヘルパーさんに、

保育園の先生に、

シッターさんに、


お金がかかってもいい。

お母さんも頑張ります。

身を粉にして頑張ります。


だけど、子供の将来の舵取りは

母だけでは無理です。

リスク分配をするため

鬼になって考えます。




頼っていたものの限界を知ったとき、

やっと、自立できると思います。


それは、早すぎても遅すぎても不幸なこと。



我が娘にはベストタイミングで


いろいろ我が家庭の内情をカミングアウトして


大人になっていってもらいたく


思います。