流れ星を、みた。

娘の誕生日、国立天文台を訪れた。


大好きな木星をみた。


4つの衛星

イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト

も確かにみえた。


しかし、なんと

待ち時間に

生まれて初めて

大きな流れ星をみてしまった。


興奮さめやらぬまま、星座の話を

天の川銀河の話を、ダークマターの話を

していって、

誕生日にねだられた金管楽器のことは

忘れてもらおうと画策されている

9才女児の誕生日は終わっていった。

中学受験とお受験

情報収集で頭でっかちになっていた

時期を終え、実地調査の段階に

入っている。


しかも、二人とも狙う学校は一校のみ

不合格なら、公立へいけばよい。


恨み言ではないが、私は

なぜ勉強するのか分からず

「勉強させられていた」から

塾も◯会も◯文も家庭教師も

すべて他人事だった。

不合格を避けるため、いくつも

受験したけれど、行きたいと強く思った

学校はなかった。

でも子供ながらに思ったのは、

公立の中学校という選択肢は

私には求められていない、ということだった。



親のせいにしてもあほくさいが、

私はそんな子育てはしたくないという

明確な意志がうまれた。



娘には早い段階で、中学校に対する

ビジョンが生まれていた。

それを満たしてくれる中学校に

見学にいき、その学校は目標になった。


8才が、私はあの中学校にいきたい

と自発的にいうことが、素晴らしいと

思う。

私は、そんな経験をしたことがない。



ただ、受験に合格するための勉強ではなく
知的好奇心を、未来の楽しい学校生活を
描きながら、貪欲に進んでいってほしい。


そのために、私はなにをすべきかを

いつも考えている。



お受験の方は、気楽に考えているが

どうなるかな。

下西 風澄「10才のころ、ぼくは考えた」


月刊 たくさんのふしぎ 6月号
(福音館書店)

がすごい。



こどものころの
極めてパーソナルな感情、

哲学の入口がここにある。



4才の息子に読み聞かせたが

彼はおもしろいといって

最後まで聞いていた。



わたしは、わたしを

生きているだろうか。


いろいろ考えさせられる

一冊であった。

ラ・フォル・ジュルネ2018

音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ
に初めて参加した。




クラシックのコンサートに
8才と4才を連れていくなんて
考えられなかったが、


娘が吹奏楽部に入部することになり
えいやと3人でいくことに。



どうせいくならと
ワークショップにも参加。



シルク・ドゥ・ソレイユ
元クラウン、フィリップさんに
パントマイムを教わり、


プロコフィエフ
ピーターと狼」に合わせて
体を大きく動かし表現する。



4才になりたての息子には
怖いものなどない。

思い切り楽しんでいた。



コンサートは、


4才、3分で入眠
8才、30分で爆睡


と、想定内だったけれど


東京芸術劇場での体験は
なかなかできるものではない。



バイオリンとオーボエ
実際に奏でさせてもらって、


娘が今月から吹奏楽部で
練習する楽器は、



チューバ、、、



いくら体が大きいとはいえ、


いろいろ大変そうである。

疲れてしまうのに

走り出したら止まらない


子育てをしている自覚はなく

おそらく二人とも

親であるだろう私たちより

優れていることが多いと感じる。



図書館で30冊、
児童書を借りては読みきかせ、
週末は自分たちで選んだもの、
予約した本は
平日に私がとりにいき
気づけば月に100冊近く借りる生活が
半年過ぎた。

家にも絵本や図鑑は、200冊くらい
あるが、図書館に毎週いく習慣ができ、
生活にいろんな広がりができた。


きっかけを与えてくれた
尊敬する人物に
出会えたことに感謝

また、出会ってしまう。


思えば、私はいつも

こういう場所に救われてきた。


暗闇にたたずむ

クリスタルグラスに


磨かれた

アイスボール


ブックマッチから漂う

煙とにおいに


吸い寄せられる





会ったらまた恋に落ちる人には

逢わないよ




なんて官能的なんだ。


50になっても60になっても

すきなものは何も変わらない


自信がある。