芸術というもの


なんの因果であろうか。


私の母方の祖母は教師で
趣味で油絵を描いていた。


私の父方の祖父は
(おそらく税金対策のため)
銀座の画廊に通って
たくさんの絵画を所有していた。



私の娘が7才のときに描いた
油絵をみて思ったのは


内向きな彼女だと思い込んでいた
ものとは、おおよそかけ離れた
のびやかで力強いものだった。


絵を描くことを強いたわけ
でもない、
なぜか彼女は2年前から
週に2回アトリエに通い
油絵という扱いにくい画材で
2ヶ月以上同じキャンバスに
向かい続ける。


何がそうさせるのか。
私にもわからない。



先日、世田谷文学館
彼女が敬愛する画家ミロコマチコさんの
ライブペインティングに参加した。


haruka nakamura率いる楽団の
生演奏と間接照明のなか、
ミロコさんが踊るように
全身を使い、迷いなく描く
100号のキャンバスを
楽しそうに眺める子供達


途中から子供達の下に敷かれていた
大きな画用紙は、カラフルなペンと
一体になった小さな絵描きたちによって
浮き上がり、大小にちぎられて、
ミロコさんにより
キャンバスへと貼り付けられた。


娘が描いたモモンガのイラストは、
キャンバスの中央に貼られて
大きな鳥の一部となり
作品は完成した。


8才のときに
敬愛する画家に出会え、
こんなにも心打ち震えることが
できる感性が芽生えていることに


すでに子供は、親のものではなく

完成された一つの個人であると

再認識した1日だったのだ。


芸術で飯を食うのは無理だと

つまらないことを言いそうになって

いた自分に対する内省と

下記に引用した大学の学長が

いるようなところで芸術を学びたい

と、昔買った鷲田先生の本をまた

読んでいる今日この頃。