現実は、なにも変わらない。

一連の黒子のバスケ騒動の事件の被告人の意見陳述を全文読んだ。


自分のことをサイコパスと言い切っているあたりが

きじまかなえと違うところ、というか

男と女のちがいだなぁと思いながら


まったくの他人事と思えない内容であった。



彼のように、一度レッテルをはられた(自分ではったともいえるが)

人間が、権利を回復するのは絶望的であること

そして、それを望むことは、自らを傷つけることであり

自己肯定などできるはずもない。



だれも、他人と比較されたくはないし、

他人と同じくくりで片付けられたくはない。



自分の生まれた環境を恨んでも

自分を守ってくれなかった親を恨んでも

いまの自分をフォローしてくれるわけではない。




心をとざしてしまえば、

何食わぬ顔で生きていくことはできるかもしれない。



自分を守れるのは、自分しかいない。


他人のせいにしても仕方がない。


それは、だれもが分かっていること。





年上のホームレスの女性に会ったことがある。



彼女は、中学のとき家をとびだし、

不良仲間の親がやっているスナックで働きながら

友人の家を転々として

素行不良の半グレ男と遊び

ホテトルの受付のアルバイトをきっかけに

風俗嬢として大金を稼ぐようになる。



デリヘルやソープ、イメクラなどをかけもちし

稼いだ大金はホストクラブで使い果たす。



そんな生活も20代まで

30もすぎてくると、風俗店の面接も断られるようになり

彼女は他に稼ぐ手段を知らない。



テレクラや繁華街の路上で客をさがし

ワリキリと言われる売春をして1日の生活費を稼ぐ。



シャワーは、客とつかうラブホテルで済ませ

洋服や最小限の荷物は、駅前のロッカーに。



待機する場所はパチンコ屋やネットカフェ。



稼いだ金は、タバコと1パチ・5スロの原資、ネットカフェの宿泊料金。




そんな彼女が携帯の待ち受けにしていたのは


生まれたての赤ん坊の写真だった。



聞けば、死産した娘の写真という。




彼女には、無職の娑婆に復帰したての彼氏がいて

その男と暮らすための生活費をワリキリで稼いでいるという。


赤ん坊もその男性との間にできた子供ということだ。



華奢な彼女は、妊娠したことにもしばらく気がつかなかったという。


臨月近くなっても「仕事」は続けていて

野宿をしたりすることもあったらしい。

もちろん自費である妊婦健診など一度も受けていない。



ある日、突然出血して救急車で運ばれ

死産。


保険証もない、身分証もない、入院代も払えない彼女は

夜中にこっそり病院を逃げ出したという。





どこをとっても、救いようのない話だ。




でも、彼女は至極当然のことのように、あっけらかんと話す。


自分の感情を殺しているかのように。



聞けば、小学生のときに壮絶ないじめにあったという。

家庭も貧乏で、親は酒乱だった。



なにも期待しない。


なにも変わらない。



そういって笑顔すらみせる彼女に、私は

愕然とするしかなかった。